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2012/04/26

中米買付の旅路 // コスタリカ4日目 タラスのメガミル コーペ・ドータ

ファラミという新しいマイクロミル(小規模生産処理場)を後にした私たちは、コーペ・ドータというメガミルという大規模生産処理場に向かいました。

夕方近くでしたので、この周辺の生産者がトラックにコーヒーチェリーをたくさん積んで集まってきています。

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今回の買付の旅路のはじめにも少し書きましたが、コスタリカのマイクロミルの興りについてここでもう一度、触れさせていただきます。

コスタリカでは元々、他の中米諸国と同じようにかつては、ブルボン種やティピカ種といった伝統的な品種を植え、よいコーヒーを栽培していました。

品質の安定化を求め、台頭してきたのがいわゆる国際企業経営の大型処理場のミルやコーペラティヴで、そこに生産者はコーヒーチェリーを持ち込み現金化してきました。

そこで生まれたのがコスタリカSHGといった一般的な品質の安定を狙いとしたコーヒーが多く生まれ、やがて量産に目を向けるようになり、カトゥアイやカツーラやハイブリッド種などを植え始めました。また、集められたコーヒーチェリーでメガミルのブランドとしてのロットも作られるようになりました。

ところが、90年代に入るとコーヒーの国際価格が低迷し、コスタリカ全体の生産量も 大きく減少したため、生産に見合うコーヒーチェリー量を集められず競争が激しくなり、コーヒーチェリーを巡ってバブルが起き、結果として大規模コーペラティブの倒産が続きました。

これらの反省と90年代後半にはスペシャルティコーヒーの興隆もあり、小規模生産者は「自分のコーヒーチェリーは自分たちで生産処理をしよう」という動きが出始めました。最初は裕福な生産者に限られていましたが、やがて数名の生産者が様々な資金援助の元、共同でマイクロミルをはじめるところも出てきました。

その小さな動きに呼応するかのように、2002年からは、「コセチャ・デ・オロ」(クロップ・オブ・ゴールド)という品評会に発展し、インターネットオークションも行われるようになりました。そこで私たちが出会ったマイクロミルがセントラルバリーのブルマスでした。

そして、国連ITCプロジェクトの成功の高まりから発展した、カップ・オブ・エクセレンスがコスタリカではじめて開催されたのが2007年。この時の3位が今回訪問した、エルサル・デ・サルセロで、私たちが落札しています。

そして、これらの中でも大きなうねりとなったのは、コセチャ・デ・オロからカップ・オブ・エクセレンスへの流れから、インターネットオークションによって世界に広まりを見せ、ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(WBC)における、コスタリカのマイクロミルのロットの活躍は目を見張るものがありました。

世界のトップバリスタの多くがコスタリカのマイクロミルのコーヒーを使い、上位入賞を果たすに至りました。

ここにマイクロロースター(自家焙煎)と生産者の関係が深まり、バリスタが架け橋となったわけです。

そして、芸術とも云うべき生産処理の創意と技術、バラエティ(品種)、加えてマイクロクライメイト(微小気候)の組み合わせによって生まれるコーヒーは他の生産国には見られない、コスタリカ独自のスタイルです。

このように、伝統的な流れからメインストリームコーヒー(一般的なコーヒー)へと移り変わり、スペシャルティコーヒーの興隆から「マイクロミル革命」が起き、現在に至っておりますが、今後益々の品質向上が期待できるのではないでしょうか。

フランシスコ・メナさんによると、2000年にはマイクロミルが11個しかなかったが、現在は150以上にも増え、今後はもっと増えていくとのこと。益々、コスタリカのマイクロミルからは目が離せませんね。

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コーペ・ドータを後にした私たちは、コスタリカ4日目の最後の訪問先で、みなさんお馴染みのドン・マーヨに行きました。ではまた!

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